物語
STORY
生きることと作ることは一つ。
私たちの信条です。
言葉、背景、文化、地理、すべての壁を乗り越えてめぐりあい、
今は、東京でものつくりをしている夫婦。それが私たちです。
私たちの作品は私たちの生き方でもあります。
Marshall Lock & Yukiの物語りをここに記します。
はじめに
私は マーシャル ロックと申します。妻は ユキ ロックです。
私はイギリス、ランカシャー州ロッセンデールの綿工業地帯で、主婦の母ヴェラと工場労働者の父フレデリックの間の3人兄弟の次男として生まれました。
綿織生産が主要の工業地区で、絵画や芸術とは程遠い環境でしたが、私は、若い頃から創作と芸術の魅力にとりつかれ、幸いなことに早くから学校や地域などで私の作品が高く評価されるようになりました。自分の天職として、絵画専門の道に進むつもりが、15歳になってすぐ家庭内で暴力を振るっていた父親の独断で学校を退学させられ、近所の綿工場に働きに出されたのでした。
学びの時代
青年期の私は、イギリス社会の縁の下の力持ち、肉体労働者として、木綿工場労働者、建設労働者、墓掘り、コンクリート打ち、下水管敷設、などのいろいろな仕事を経験してきました。額に汗して働きながら、道具を使い、環境を変える仕事の中にも美を見出し、絵画、芸術と美への愛は衰えることはありませんでした。今のようにインターネットのない時代。公立図書館に仕事が終わった後毎日深夜まで通い、造形や美術についての古い本を渉猟し、絵画や造形の独学を続けてることは私に深い喜びをもたらしました。現場の仲間たちは、日々の肉体労働の後、パブで酒を飲み宴を楽しみ、孤独に美しいものを作ることにしか興味がなかった私を変わり者と、世捨て人扱いにしたものです。が、私は一向に構いませんでした。一途に美しいものを作る喜びという情熱に突き動かされていたのです。
ものづくりとアート
次第に、油絵に限らず、自分が石や革や木材を使っても独特な造形ができることを発見。
伝統的デザインをアレンジした馬具、革工芸美術品、大型石材彫刻などを手作りで
プロデュースするアトリエを立ち上げ、好評の中、順調に経営するに至りました。
しかしながら、長年の重労働で変形性関節症を発症。
医師から、これ以上石や木材などの彫刻で重いものを扱い続けると車椅子生活は避けられない、との宣告を受けました。
この逆境は、結果として長年中断していた油絵に再び専念する契機を、私にもたらしてくれたのです。
オークニー諸島
その後、幻想的なスコットランドのオークニー諸島の景色に魅入られ、小さな島で、手作りのアトリエとギャラリーを開設いたしました。幸いにもわたくしの大型風景画が、北アメリカ、ヨーロッパ諸国、南アフリカ、などいろいろな国の皆様のお手元に旅立ってゆき、癒しをもたらし、共感を醸し、愛される歓びに恵まれてきのでした。
海と風と緑の島オークニーは、美しい島。その中で創作を続けながらも、私は、不思議な
ことに、私の長い美の探求の道のりで、幾度となく、世界の反対側の遠い島国、
日本の文化、道具や器への美学、そして、細やかで感性に満ちた自然との共生について見聞し、その度に、自分の心の琴線に深く共振する感動を覚えていたのです。
不思議な出会い
縁は異なもの、という粋な表現が日本語にはあるそうです。
私の先の伴侶が膵臓癌で熾烈な闘病の末逝ってしまった後、介護と看取りで私は心がすっかり疲弊し、いっとき絵筆をとれなくなりました。暗い日々が続きました。心配した友人たちが、なんとか私を元気づけようと、芸術家と画家のための国際文通サイトに、私に内緒で入会させたのです。私は初めは嫌々ながらも参加しました。しばらくすると、ある画家の作品が目に止まるようになったのです。彼女と、美術とお互いの作品についての意見交換が始まり、文通は次第に、お互いの人生体験、価値観、苦しみや喜びについて語り合うようになり、急速に、ただの文通相手という域を超えたものに発展していったのです。
二人の生活
当時カナダに住んでいた彼女は、絵画の世界に入る前は、フランス語系カナダの
大学教授として、文化人類学を長く教えていた女性で、奇しくも彼女も
愛するライフパートナーを病で失った経験の持ち主でした。ビデオ電話ではなく、文字と絵の画像交換だけで、長く深く文通しておりました。文通の中で彼女が東京で日本人とドイツ人の間で生まれ、日本, カナダ,フランス,ベルギー,ドイツ,などの多様な文化にも精通している人である、ということがわかりました。
これが私の今の妻で、共同制作者のユキだったです。
私たちはオークニー島で結婚式を挙げ、私が自分の手で建てた海の真前のアトリエ兼
ギャラリー兼自宅で、静かで豊かな創作に満ちた生活を営んできたのでした。
東京での新生活
しかしながら、時を経て、東京に住むユキの両親が二人とも、24時間介護を要するようになったのです。順風満帆の私たちのアトリエ兼ギャラリーをたたみ、未知の世界である日本、東京に移ることは大きな決意が必要でした。でも私の心の中ではこれが正しい判断であることは明白でした。私達は意を決して日本の彼らをフルタイムでケアできるよう来日したのです。これが、スコットランド北端の孤島の小さな工房で絵や彫刻を営んでいた私が、今は日本の東京の緑深い小さな街で、森羅万象という屋号で小さなアトリエを開き、妻の両親を見守りながら、創作、発表をし始めるようになった次第です。
日本と私、
これから
私にとって最高の師は、自然です。
日本の四季と自然と風景に、私はいつも眼の醒める思いがいたします。
宝石のような鳥や虫、
街のどこにも見られる草花、
冴え渡る夜の空の月夜。
そして、この自然を鋭く日常に感じる日本独特の自然観。
私には毎日が素晴らしい発見の連続です。
美に国境はありません。
おかげさまで、日本の皆様にも
私たちの作品が静かな共感を呼び起こし、根強く愛されるようになりました。
私は心を込めて、日々の生活に感謝しながら、
妻ユキと共に美しいものを創り続けてまいります。
これからも日本の皆様に、心込め、美しいものをずっとお届けするという
喜びと感謝を持って毎日を歩んでゆきたいと思います。